参加者の感想
一秒たりとも無駄にできない毎日
会う人会う人みんなに「ナマステ〜!」薪運び中のおばあさんも頭から両手をはなして「ナマステ〜!」私は何回ナマステと言ったのだろう?私はいくつの優しく温かい笑顔に出会ったのだろう?「こんにちわ!」って日本では毎日そんなに使わない。知らない人だったら目も合わせない。同じ“こんにちわ”なのに日本では自然に、素敵な笑顔があふれるあいさつをしているかなぁ…。日本でも旅人になったつもりで周りの景色を見て感じて、出会う人にも素敵なあいさつをしたいと思いました。
トレッキング中は少し歩いただけで暑く、足元は牛のふんだらけ!しかし周りに咲く花や緑が美しく、時々の休憩がとてもきもち良く感じました。
サリジャ村に到着し、歓迎会に見させて頂いたネパールの踊りは、リズム感もよく、のってしまうほどでした。化粧の仕方や衣装にも特徴があり、文化の違いって面白いなと感じました。そのダンスはとても綺麗で感動し鳥肌が立ちました。彼女たちがネパールの伝統的なダンスを外国人に見せて、外国人を感動させることが出来るなんて素敵なことで、文化を大切に守っていることはもっと素敵なことに感じました。そう考えたら、私も日本の文化を守り、身につけ、外国人を感動させ、日本に興味を持ってもらえるように何かをやろう!と思いました。
それぞれのホストファミリーの家に行くときに、私の重たいリュックをかつぎ、どんどんと歩くたくましい女の子!辺りが暗いこともあって、この家お母さんだと思っていた子が16歳で、私よりも年下だと知ったときは驚きました。サリジャ村の女性はみんな元気で男に負けず、たくましく、私も負けてられない!と気合が入りました。
便利な電化製品に囲まれた国に生まれ、そんな環境の中に育った私は、電気さえ来ていない村での生活に興味があり、わくわくしていました。夜は囲炉裏の火が温かく、安心感を与えてくれました。ホストファミリーとみんなで囲むその小さな集まりは、初めての海外できっと心身ともに緊張と疲れがたまっていたはずのわたしの心と体をホッとさせてくれました。私は、食事中にテレビに集中して会話の少なくなった家族団らんの生活より、みんなで囲炉裏を囲んでおしゃべりしながら笑ったり、考えたりする生活のほうが幸せなのではないかと感じました。
お母さんの作るダルバート!どこの家も同じようでしたが、ご飯が大盛で、長時間のトレッキングでお腹がペコペコだった私にとっては嬉しい限りでした。しかしお母さんも子供も結構な量をペロリとたいらげてしまい、その分たくさん働いて、たくさん動いているのだなと思いました。
朝が苦手な私ですが、“はと”と“にわとり”の騒がしさにはいつまでもじっとしていられない朝が来ました。早起きしたつもりが、家族のみんなはもうとっくに起きていて、16歳のグマプンは「School!!」と言って6:30amに家を出て行きました。そのとき、「いってらっしゃい!!」と言いながらも、毎日毎日こんなに朝早いと、冬は霧も巻いていて寒いのに…。やっぱりたくましいな!と感じました。このたくましさは、生活の中にある“運動”と、お母さん手作りのダルバートをしっかり食べる事で、健康で丈夫な体が自然とつくられているところから来ているのかなぁと思いました。“生活習慣病”という言葉がありますが、車が無い分動き、余計なものが含まれていない手作りの食事を多く摂り…と、この村では、普段の生活の中で、健康で丈夫な心と体が自然とつくられている気がしました。
テレビや車、偏った食生活…。便利で楽しい日本での日常。しかしその便利さのせいで失われつつあるものが本当にあるのだと、実際にサリジャ村で過ごして感じることが出来ました。
以前に植林された苗木が大きく育ち、緑が増えた箇所もあれば、植林が必要な箇所もさまざまでした。森林保全継続の収入を得るために行っている織物。
村の女性達が、彼女達が織物をする建物についてミーティングしたり、私たちに一生懸命に織り方を教えてくれる姿を見ていると、彼女達は、森林保全のためにすべてを誰かに頼るわけではなく、自分達で収入を得られるということが、本当に嬉しいことなのだろうと感じました。
ナンギ村の学校の図書館に“知識は使ってこそ意味がある”とありました。このスタディーツアーで知ったこと、得た知識も無駄にしないようにしなくてはいけません。スタディーツアーでの2週間は、ネパールで出会ったたくさんの色のようにカラフルで濃く、一秒たりとも無駄に出来ないほど、充実した毎日でした。 (学生)
ネパールというすばらしい国を再び訪れる日が待ち遠しい
人種も言語も習慣もすべて異なる、世界一高い山々のふもとに生活の場を持つ国ネパール。飛行機がカトマンドゥに近づくにつれ、私の胸は興奮の鼓動でドキドキと止まらなかった。カトマドゥに到着してまず目に飛び込んできたのは物凄い車の量と人の数。建物の間の細い道をこれでもかというくらいのスピードで車を進めていくとにぎやかなお店が連なる“タメル”に到着した。お店の店員さんたちは東洋人の私たちを見るとすぐに「ニーハオ!アニョハセヨー!コンニチワ!」と3ヶ国語で声を掛けてくる。それほど中国・韓国・日本からの観光客が多いということだろう。にぎやかな店や人が溢れるタメルの中にも物乞いをする人や、移動販売でフルーツやポップコーンを売ってお金を稼いでいる人たちも多く見られた。そういった人たちはやはり自分の店を持つ人たちとは少し雰囲気が違い、旅前に聞いていた未だ色濃く残るカースト制というものを強く感じた。初めて味わうネパールのミルクティ、初めて食べたチベット料理は初めてのネパールで感じる独特の雰囲気も手伝ってとてもおいしく頂けた。
次の日はいよいよポカラに向けて出発。途中のランチタイムには初めてのネパール料理、ダルバートを食べることができた。この先ダルバートの日々が続くとは知らずに私はお腹いっぱいダルバートを楽しんだ。6〜7時間バスに揺られ到着したポカラは、騒然としたカトマンドゥとはうって変わってちょっとした田舎町であった。といってもレイクサイドの観光名所では英語や日本語の達者な店員たちが店を広げ、大きな声で「コンニチワー」と声を張り上げていたが、一歩町の中に入ると砂利道を放し飼いされた牛や野良犬たちが人々と一緒に生活するのどかな風景が広がっていた。そんな風景の中を散策している時間は、忙しい日々をすごす日本では感じられない、ゆったりとした時間を感じることができた。
ポカラで1泊したあと、いよいよサリジャへ向かうため、登山口であるベニへ移動。トレッキング前の腹ごしらえにネパールへ来て2回目のダルバートを頂いた。そしていよいよサリジャへ向けて出発。歩き出しは快調、すれ違う人すれ違う人に胸の前で手を合わせて「ナマステ〜」と声を掛けるのがとても新鮮で気持ちが良かった。途中、休憩したお店で飲んだチアも格別においしく、体の隅々までチアが染み渡るのがわかった。トレッキング中、驚いたことが2つあった。ひとつは山を登ったり下ったりするネパール人たちの履物だ。みんなサンダルを履いて石でごつごつした山道を登ったりくだったりしている。トレッキングシューズでがっちり足を守っている私にはとても信じられない光景であった。もうひとつは歩いている道のところどころに目に付くごみである。半端ない量のごみに加え、そのごみをよく見るといかにも他国から輸入したスナックやインスタントヌードルのプラスティックの袋なのである。誰が捨てるのか、こんなローカルな場所にこんなにごみを捨てるだけのトレッカーが来るわけもない、やはり地元の人々なのだろう。ごみのポイ捨ての現状を見たとき、こんな美しい自然に囲まれた美しい国といわれている国もさまざまな問題を抱えているのだなと実感した。
ちょくちょく休憩をいれ、ついに7時間かけてサリジャに到着した。到着すると村人はすぐにチアで私たちをもてなしてくれ、そのあと村の伝統的な踊りで私たちを歓迎してくれた。ちゃんと伝統が次の若い世代へと受け継がれていることがとても印象的であった。村人たちは外が暗くなったにも関わらず、また日が暮れて寒さも増してきたにも関わらず私たちのためにすばらしい歓迎会を催してくれた。いくらプロジェクトのためとはいえ、突然訪れた日本人のためにこんなにも私たちを歓迎してくれたことがとてもうれしかった。
そしていよいよホームステイである。ステイ先に着くと、近所の子供たちが続々と集まってきた。みんなものめずらしそうに私の顔を見て、目が合うたびにはにかむようににっこりと笑って隠れてしまう。しかし万国共通、どこの国でも子供たちはとてもかわいい。特にネパールの子供たちの無垢で純粋な笑顔といったらない。またこちらの子供たちはとてもアクティブである。真冬にサンダルで外を駆け回り、裸足で木登りを始める。どこへ行くにもゲームを持ち歩く日本の子供たちとは大違いである。ホストファミリーや近所の子たちと戯れたあとはお待ちかね、サリジャで初のダルバート。お客様へのもてなしの意味があるのか、日本人は大食いと言う印象があるのか、ご飯の量が半端ではない。普段私が日本で食べる量の3〜4倍はあるだろう量のご飯が毎回出される。“プギョ!”といっても“タルカリー”といって進めてくれる。ダルバートと共に飲んだ絞りたての牛のミルクの味もたまらなくおいしかった。
サリジャでの生活は、私の日本での生活のように漠然と忙しい毎日は過ぎて行くようなものとは違い、朝、日が昇れば皆起きだし、日が暮れると外で遊んでいた子供たちは家に戻ってくる、のどが渇けばチアを入れみんなで飲み、夜が更けると皆床につく。私たち先進国の人々のように、時間に支配されることなく、物事の中で時間を捉えているようなとてもゆったりした生活だった。村人たちは貧しい生活ではあるけれど、自分たちの生活に満足し村人全員が助け合い、毎日をいきいきと過ごしているように見えた。
しかし、グローバル化の影響がネパールの山奥まで届いているのか、20〜40代の働き盛りの男性が中近東に出稼ぎに出てしまい、村にいるのは女性と子供や学生、年をとった男性である。村を中心になって支え、発展させていく年頃の男性が村にいないというのは村にとって大打撃であり大問題である。この問題は日本の地方の過疎か共通する部分があるだろう。かたや発展途上国、かたや先進国で同じ問題を抱えていることがとても不思議であり、また親近感が沸いた。
今回の旅で、私たち日本人は先進国としてアドバイスできることもあり、また逆に発展途上国であるネパールからアドバイスされるべきこともあるということを強く感じた。私たちは私たちが先進国となるまでに歩んできた歴史から、環境への配慮や産業発展の専門知識などを教えること、ネパールからは先進したからがゆえに私たちが忘れてしまっている自然と共に暮らす大切さ、家族と過ごすことの大切さなど、多くのことをお互い学び合える。お互い教え学びあいよりよい友好関係もと、今以上のよりよい未来ある生活を営んで生きたい。そんなことを2週間という短い旅の中で痛切に感じた。ネパールというすばらしい国を再び訪れる日が待ち遠しい。(学生)
現金収入を伴う産業開発が必要である
今回ツアーに参加させていただき、途上国のさまざまな環境側面を知ることができた。ひとつは自然環境。それから労働環境や教育環境などである。そしてそれらは、全て切り離せない要因として、山岳民族の生活に直結していた。
ネパールの自然環境について、これまで全く無知だったためか森林の少なさに大変驚いた。人類が高い所まで生活圏を移動していき、それに伴い森林が切り開かれていったわけだが、想像以上の山の姿だった。車窓から見るだけで一目瞭然であった。
労働環境においても、最初に訪れたサリジャ村で、歓迎の踊りの男性パートを、男装した女性が踊っているのを見て、本当に若い男性がいないのだと痛感した。日本の過疎村と同様であるが、発展していかない典型的なケースである。
教育環境については、村により修学年数が違うという先進国では考えられない状況であった。しかし、今回訪れたサリジャ、ナンギ両村については、子どもは全員修学しているということで、おそらくネパール山岳民族の中でも修学環境は整っている方であろうと想像できた。
これらの問題を一気に解決することは不可能だと思うが、これら全てに関連してくるのが、現金収入を伴う産業開発であろうと感じた。そういった意味では、IHCが取組んでいる活動は合理的であると思った。IHCの主とする活動である森林再生は、今のネパールをはじめ隣国のインドまでをも含めた環境保全である。また、ミツマタなど紙作りに欠かせない種の植林も、里山再生、そして持続可能な産業に向け必須の取組だと感じた。
そういった取組が進んでいくと、徐々にではあるが村に職が生まれ、出稼ぎに行かなければ生活ができない家庭も、少しずつ減少していくように思える。人の流出が抑えられれば、人材育成や農地放棄といった問題も、解消傾向になるだろう。
教育環境は、その差があることに今はあまり表面化していないのかもしれないが、この先急激に差が出てくる気がしている。まず、現在の40代以上の人はかなりの割合で英語教育を受けていないことに気づいた。現在の学校では、日本でいう小学校1年生から学ぶことができる。実に親子2世代だけでもこれだけの差がある。アジアの途上国の多くに言えることかもしれないが、以前は特に女性に就学機会が薄かったようにも感じた。この先修学年数に差があり、さらにその上の修学に差が発生し始めると、就学機会の問題とはまた違った問題が浮上してくるに違いない。
産業開発はこれらの問題に直接リンクする対応策であるが、ややもすれば国内格差を広げることにも繋がりかねない。しかし、進めていかなければ打開には繋がらず、産業インフラ(特に販売経路)を含め着手しなければいけないと感じた。(ネイチャーガイド)
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